☆ラグビーの授業☆

《コンビネーションを中心とした初級ラグビーの展開》



●はじめに

  ・「ラグビー」――――私が中学生の頃(昭和42,43,44年)テレビでは学園青春ドラマが花盛りで 

  あった。そこでは必ず高等学校のサッカー部か、ラグビー部を中心にしたドラマが展開されていた。しか

  し、ドラマの中でラグビーのルールの解説などはされなかったし、中学生の私も経験はなく、ラグビーが

  どういうスポーツなのか、よくわからなかった。ただ、男くさい、ハードなスポーツだという印象を持っ

  た。

  • 高校に進学すると、ラグビー部があり、一番に入部の勧誘を受けた。「ラグビー部は強いのですか?」と尋ねると、「報徳には勝てん!」と先輩は答えた。私は自分の得意とする器械体操部に入部した。汚いジャージ姿のラグビー部員が、部室の入口付近で、皮のボールに唾をつけて一生懸命磨いている光景を何度か見た。

  • 体育の授業でラグビーができるかと期待したが、当時のカリキュラムにはラグビーは入っていなかった。ラグビーとは無縁の高校3年間だったが、「ラグビー」は何となく気になる存在であった。

  • 体育教師になろうと決意し、体育系大学へ進んだ。いよいよ私にとって、初めてのラグビーの授業がはじまる。期待した。しかし、大学の先生は開口一番、「君たちは、もうよく分かっているだろうから、早速ゲームをやろう。」といって、訳の解らぬまま、私はバックスのどこかのポジションをあてがわれ、ゲームが始まった。(あの頃の仲間は皆高校でラグビーを経験していたのか?) ボールを後方へパスすることだけは分かっていた。初めてのゲームで、自分はタッチライン沿いでパスを受け、そのまま20mほど独走して、あと5mでトライというところで、後方から突き飛ばされ、コート外へ転倒した。いまだに鮮明な記憶として残る。

  • 大学のラグビーの授業はこの講座だけしか開講されておらず、結局毎回こういうパターンで、よく理解せず、役割も分からず(私はバックスのポジションで)、休講も多く、納得のいかぬまま時は流れた。一番最後の授業に実技テストがあったが、これまで一度もやったことのないプレスキックでゴールをねらうというものだった。ゴールが決まった者から帰ってよいということだったが、何度か失敗して、やっと1本決まって、「はい よろしい!」と言われた時、周りを見ると数名しか残っていなかった。これで評価されることにも納得がいかなかった。

  • 単位は取れたが、この授業で私にとって、ラグビーはさらに不可解なものとなった。大学では体操競技に精力を注いでいたので、自分からさらに突っ込んで、難解なラグビーの勉強をしてやろうとは、この時点では思わなかった。

  • 大学4年時、兵庫県の高校教員採用試験を受けた。そこではラグビーの実技テストがあった。-------自分でショートパントキックし、走っていって落下してくるボールをキャッチし、フェイントをかけるように2~3度ウィービングをしてフットワークをみせて、ランニングダッシュしてトライ------というものであった。何の練習をすることもなく試験に臨んだが、試験官は私の動きを何と見たのであろうか。

  • 兵庫県教員に採用された。はじめの勤務は定時制高校であり、そこでの4年間はラグビーに接するチャンスはまるでなかった。その後転勤して全日制普通科に勤めることになったが、持ち上がりで3年間を女子生徒の授業担当となり、当時は女子生徒にラグビーを教えるなどは考えもしなかった。

  • そして、いよいよ男子生徒に、「ラグビーの授業」挑戦の時が来た。当時の勤務校(北須磨高校)の体育授業カリキュラムには、私の高校時代と同じくラグビーは取上げられていなかった。ラグビーに他のボールゲームとは違う魅力を感じていた私は、カリキュラムにラグビーを入れることを提案し、ボールとヘッドキャップを揃えてもらった。

  • しかし、まず自分の頭の中に、授業を成立させる、系統だった指導法をどう確立するかが先決で、手当たり次第に、解説書・ルールブック・専門書・ビデオ------と取り組んでみたが、全て断片的な知識しか入ってこず、授業をどのように組み立てて指導していけばよいのか、まさに手探り状態であった。審判法についても同じであった。テレビ等でゲーム観戦していても、今のホイッスルは誰に対して吹かれたのか判明せず、ビデオ撮りして何度かまき戻してさえ分からぬ場合もあり、課題ばかりが膨れ上がっていった。

  • 体育教師としてはよくない言い方だが、サッカーであれば、ボール1個あれば生徒はそれなりにゲームができる。しかし、子供の頃から経験の少ないラグビーはそうはいかない。

  • 今回のこの指導案は、そういう出発点から、多くの失敗を繰り返しながらも、試行錯誤しながら、なんとか自分なりに辿り着いたラグビーの授業指導案である。生徒の質や授業講座の生徒の人数は毎年変化するので、指導案もその都度変化するものであるし、また専門家からみれば、低レベルなものという批判もあろうが、一つのパターンとして参考にしてもらえばと思う。

  • 一つの授業を成立させていくのに、ラグビーほど多くの先生方に教えを請い、助言をいただき、実際に実技指導までしていただいた種目はこれまでなかった。私一人のために集団で研修をしていただいたといえる。北須磨高校時代には池亀先生からは「モールつくりから二次攻撃展開の大切さ」を、藤永先生からは「スクリューパスの基本」を、木村 伸先生には、私の授業に実際に出向いていただいて審判法まで教えていただいた。県立神戸商業高校時代にもカリキュラムにラグビーを配置していただき、用具も揃えていただいた。鳴尾高校ではカリキュラムにはじめからラグビーが組み込まれていた。神戸甲北高校時代は、専門家の田中 康憲先生、財田先生から多くの資料を提供していただいた。体育科の先生方に感謝の気持ちでいっぱいです。