問1:上の写真(=ラグビーのゲーム絵と思われる=ゴールポスト付近でのモール---ロンドンニュース 1882 とある)を見て、何か変だなとおもうところはないか?
問2:サッカー、ラグビーでは競技コートの横のラインをタッチラインと呼ぶが、バスケット、バレーボールではサイドラインと呼んでいる。なぜ、呼び方が違うのか?
問3:1857に、トマス・ヒューズが著した『トマス・ブラウンの学校生活』にはフットボールの様子が描かれ、ボールが競技場外に出ることを「イン・タッチ」と呼んでいる。それはどんな理由があったのだろうか?
問4:ラグビーでは今日でも、場外から場内にボールを投げ入れるプレーを「ラインアウト」と呼んでいるが、サッカーやバスケットではこれを「スローイン」と呼ぶ。自然に感じるのはどちらか?
問5:サッカーやラグビーの競技場の四隅にはコーナーフラッグと呼ばれる小旗がたっている。ラグビーの正式試合ではさらに22mラインとハーフラインの横で、タッチラインから2mの位置にフラッグがたっている。が、あのフラッグは必要なのか?
問6:下記にあげるのは、最初のサッカーのルール(1863年)である。特にコートのライン、スローインの仕方などに注意して読んでみよう。
最初のサッカーのルール
1 グランドの長さは、最大を200ヤード(約180m)とし、幅は最大を100ヤード(約90m)とする。グランドの大きさは旗を立てて標示する。ゴールは8ヤード(約7m)の間隔に直立させた2本のポストで、ポストを横切るテープもバーも使用しない。
2 トスの勝者はゴールを選択する。ゲームはトスに負けた側がグランドの中央から行うプレースキックによって始める。相手側は、ボールがキックオフされるまで、ボールから10ヤード(約9m)以内に接近してはならない。
3 得点の後はゴールを変え、失点した側がキックオフを行う。
4 得点は、ボールが両ゴールポストの間またはその延長上の空間(どのように高くとも)を通過した時に得られる。ただし、投げたり、打ったり、手で持ち込んだりした場合は得点にならない。
5 ボールがタッチに出た場合には、ボールに最初に触れたプレーヤーが、ボールがグランドを越えたバウンダリーライン上から、バウンダリーラインと直角にグランドに向ってボールを投げ入れる。投げ入れたボールがグランドに触れるまではイン・プレーにならない。
6 あるプレーヤーがボールを蹴ったとき、ボールよりも相手のゴールラインに近い位置にいる味方のプレーヤーは、プレーに参加してはいけない。また相手側のプレーヤーがそのボールをプレーするまでは、ボールに触れたり相手側がボールにプレーしようとするのを妨げてはいけない。ただし、ボールが味方のゴールライン後方から蹴られる場合は、前項のルールにかかわりなく、どのプレーヤーもプレーしてよい。
7 ボールがゴールラインの後方に出た場合、そのゴールを守る側のプレーヤーが出たボールを最初に抑えた場合には、ボールを押さえた地点に対向したゴールライン上から、フリーキックを行う権利が与えられる。もしも、攻撃側のプレーヤーが、外に出たボールを最初に抑えた場合には、抑えた地点に対向するゴールラインから15ヤード(約13.5m)内側の地点にボールを置いて、ゴールに向かってフリーキックを行う権利が与えられる。この場合、守備側はキックが行われるまで、ゴールライン後方に立たなければならない。
8 あるプレーヤーがフェアキックをした場合、直ちにかかとで地面にマークすれば、フリーキックはマークから後方のどこででもボールを蹴ることができるが、相手側はキックが終わるまでマークを越えて前進してはならない。
9 どのプレーヤーもボールを手に持って運んではいけない。
10 トリッピングもハッキングも許されない。またどのプレーヤーも相手をホールドしたり、押したりするため、手を使用してはならない。
11 ボールを投げたり、手で他人にパスしてはいけない。
12 競技の進行中に、グランドから手でボールを拾い上げてはいけない。
13 もしも、フェアキャッチ、または蹴った後 1回しかバウンドしていないボールをとらえたときは、ボールを投げてもよいし、見方にパスしてもよい。
14 突出した針(くぎ)、鉄板、あるいはグッタペルカ(硬質ゴム様の物質で、絶縁体に用いる)などを靴の裏やかかとに装着してはいけない。
教師用 発問のための資料 ノート
問1:上の写真(=ラグビーのゲーム絵と思われる=ゴールポスト付近でのモール---ロンドンニュース 1882 とある)を見て、何か変だなとおもうところはないか?
・ボーダーのシャツとソックスを身につけているのが選手と思われる。ラグビーで言うモール(またはラックの)状態とおもわれるが、敵味方のユニフォームの区別があるのかないのかよく分からない。ゴールポストがあるので、トライ寸前のシーンともみえるが、選手の周辺にも、ゴールポストの周辺にも、明らかに観客と思われる帽子をかぶった人たちがいて、観客とプレーヤーが混然となっている。ゴールラインが引かれているのかどうかもわからない。こんな状況でゲームがスムーズに進行できただろうかと?
問2:サッカー、ラグビーでは競技コートの横のラインをタッチラインと呼ぶが、バスケット、バレーボールではサイドラインと呼んでいる。なぜ、呼び方が違うのか?
・タッチとはどういう意味なのか? 「バスケットで学ぶこと」で学んだ、バスケット初期のルールを思い出させる。
問3:1857に、トマス・ヒューズが著した『トマス・ブラウンの学校生活』にはフットボールの様子が描かれ、ボールが競技場外に出ることを「イン・タッチ」と呼んでいる。それはどんな理由があったのだろうか?
・ラインから出たボールに対し、先にボールにタッチするか保持したチームに、スローインの権利が与えられる---というルールであった。
問4:ラグビーでは今日でも、場外から場内にボールを投げ入れるプレーを「ラインアウト」と呼んでいるが、サッカーやバスケットではこれを「スローイン」と呼ぶ。自然に感じるのはどちらか?
・ラインアウトはラインの外に並んでいるのではなく、ラインの内側に並んでいる。アウトからボールをスローインするという理解。
問5:サッカーやラグビーの競技場の四隅にはコーナーフラッグと呼ばれる小旗がたっている。ラグビーの正式試合ではさらに22mラインとハーフラインの横で、タッチラインから2mの位置にフラッグがたっている。が、あのフラッグは必要なのか?
次の最初の「サッカールール」の第1条を読めばわかる。初期のサッカー、ラグビーには明確なラインがなかった。コーナーに立っている旗、もしくは目印の何かで、おおむねこの辺---というラインの取り方をしていた。
サッカーのルールにはラインの引き方が規定=「幅5インチ(12センチ)以下の線をもって描く」と規定されているが、つい最近まで、その後に「V字形の溝で区画してはならない。」という文言があった。
※小学生が運動場でゲームをするときに、棒でラインを引いたり、靴の先をこする様にして、地面を掘ってラインを引くような溝型のラインではダメだということであろうと思われる。
・英国では「我々日本人が思い浮かべるグランドとは若干イメージが違う。芝生のグランド----初期の頃は草ボウボウのグランドであったということ。ラインを明確にするには、その草を刈りこんでからラインを引くことになる。」
参考=下記にグランドの変遷図
問6:下記にあげるのは、最初のサッカーのルール(1863年)である。特にコートのライン、スローインの仕方などに注意して読んでみよう。
読んでみてわかること
・ラグビーのルールとサッカーのルールが混然としてい
る。
・(6番)オフサイドルールがはじめから存在したことがわかる
・(14番)そういう装着をしていたために、こういうルールができたということがわかる。
D:フットボールの「ラインの周辺」から学ぶ②
★フットボールの発展から見えてくるもの
1)「祭り」のフットボール
~「空地」のフットボールの時代
・収穫の祭りなどの一つの行事として、1個のボールに数十人が群がり、その中でボールを奪い合う。 (ボールは祭器)
・コートは町、村全体であり、民家の庭、小川、丘などを駆け抜け、追いかける。
・ゴールは町(or村)の対極にある橋げたとか、木とか、建物などで、そこまでボールを運ぶか、ボールをタッチすれば終了となる。つまり、1点で勝敗が決まる。
・バットや棍棒を振り回し、殴る、蹴るは当たり前、怪我人が続出した。密集の中で揉み合って、誰がボールを持っているのか、蹴っているのかわからない。
・ただ、プレーしているのは、村人であり隣人であり、大方が顔見知りであるわけで、祭りを楽しむための「出入り自由」のルールがそこにはあり、1点先取といえども、容易にはゴールできないしくみを納得したうえでボールを奪い合い、その後の酒席では、自慢話や活躍の話が飛び交うのである。
・~19世紀になり、産業革命が起こり、ブルジョア化の進行、交通機関、通信手段の発達により、ブルジョアジーの子弟が、実業的な経験を背景とする新しい教育要求の高まりもあって、大量にパブリックスクールへ進学することになる。
・そこに集まってきた子供たちにより、フットボールがリメイクされていくことになる。
・村人たちが行っていたフットボールと、スクールでのフットボールとの大きな、しかも極めて重要な変化は、フットボールを〈自然〉な条件のもとで行うのではなく、〈人工的〉に作られたグランドで行うようにしたということである。
2)「校庭」のフットボールの時代 ~ルールの成文化へ
・競技場が「校庭」という 限定された空間となる。
・ジェントルマンの教育上において、殴る、蹴るのフットボールは変革の対象とならざるを得ない。
・学校対抗戦などへと進化していく中で、統一のルールが整備される必要性が生じる。
◆「校庭」ではゴールとゴールの間が小さく、誰もが一目でプレーの全過程を見ることができるため、密集の中で訳の分からぬままボールを奪い合って揉み合い、殴り合うようなプレーよりは、ゴールに向かってスピーディにボールが移動するようなプレーが求められるようになった。
◆〔1点先取〕で勝敗が決まるというルールでは競技が短時間で終わることがあり、これまで「祭り」として長時間楽しんできた要求に合わず、そのためには、新しい勝敗の決め方や、プレーの仕方を創出しなければならなかった。オフサイドルール、H字型のゴール、一定時間の得点の多さで勝敗を決める---などは、このような要求の中で考えられたものである。
◆「祭り」としてのフットボールは、しんどくなれば観客にまわり、やる気になればプレーに加わり、近くで見たければボールのそばにより、危ないと思えば密集から離れ----というように、プレーする者と観る者とは厳密な区別はなく、「出入り自由」であったわけだが、徐々に、「校庭」のラインの境界のあり方、する者と観る者の区別が厳密にされるようになってくるのである。重大なことは、観衆にとって、プレーヤーの一人一人がどこの誰であるかということが、わからなくなってきつつあった。かつては、馬具屋のオヤジと車屋のせがれのどちらが勝つかなどの取っ組み合いを楽しんでいた観衆が、次第に、どこか遠いところからやってきた金持ちたちの息子たちのプレーだけを楽しむようになっていった。
さらに、一世紀も後になると、プレーヤーたちは背番号で識別されるようになる。校庭も、草ボウボウの広っぱから、きれいに刈り込まれた芝のグランドへと変化していく。
◆産業革命後、イギリスの各ハイスクールでは、社会が要求する人間形成に向けて、新しい教育課程や、環境条件を整備し、同時にスポーツの導入、奨励、そのための環境づくりも新しい対策のひとつで、それを父母、卒業生などに対する高額な寄付金で実現しようとしていた。例えば、ハロー高校では19世紀後半からスポーツ施設充実のみの寄付金だけで、毎年3000万円(2000年頃の幣価に換算)の寄付が50年間続き、グランドは優に100面のサッカー場が作れる広さであった。他の学校も、1900年当時で、20~30面とれるグランドを持っていた。
3)フットボールの発展から見えてくるもの
◎なぜ、このように巨大な寄付が可能だったのか?
それはイギリスがッ植民地政策を展開していたからであり、近代スポーツの創出という大事業は、巨大な寄付を可能にする植民地からの暴力的収奪という非人間的な行為の上に成立、展開されたのであり、それは洗練された優雅な余暇活動とは言えない、植民地に対する過酷な政治・経済的支配を背景に展開された文化享受の形態だったのである。
◎将来、裁判官や、弁護士を志す少年たち、植民地の行政官を志す少年たちは、「8歳から1年の4分の3を家庭から離れて寄宿舎で生活した。
---------近代人でイギリス人ほど自分たちの支配階級に厳しい肉体訓練を課したものはないと言われているように、学生は冬でも冷水シャワーを浴び、ラグビー、クリケットなどのスポーツに打ち込むことによって団体精神を養い、肉体的訓練を行った」といわれるほど、厳しい教育を受けていたのであり、この事実が示しているのは、スポーツが徹底した人格形成の『手段』であったということである。
◎イギリスにおける近代スポーツの創出という事業の背後にある、このような事実や意図を知らずに、「スポーツが分かった」と言うべきではなく、またこの『手段』の意味を不明にしたままで、イギリス・スポーツの特徴である「引き分け」を理解することもできない。
屈強の若者たちが あの広いグランドを90分間走りまわって、なお0対0の「引き分け」でも良いというルールで行うフットボールは、その目的が勝敗を争うことにあったのではなく、過酷な条件下にある植民地行政官としての激務に耐え、そこで君臨し、現地人に畏敬の念を起こさせ得る精神と肉体を鍛えるための『手段』として行われ、その意味や価値が認められていたのであって、「冬でも冷水シャワー」しかないにもかかわらず、それでもなおフットボールやホッケーなどを行ったのは、このような厳しさに耐えうる精神や肉体が国家の発展に貢献すると信じていたからである。
◎サッカーやホッケーの得点の少なさや、ラグビーのゴールキックの難しさの背後には、勝敗の争いよりも 国家の人格形成要求を認め、その期待に応える という目的が鮮明に意識されていたのである。
E:ネット型スポーツから学ぶこと① →
問1:ネット型スポーツにはどんなものがあるのか。それらのスポーツが競技として完成された古い順に並べ考察せよ。
問2:サービス=ものすごいスピードで、リターンの難しいボールを打ち込んでおきながら、なぜこれを「サービス」(奉仕)というのか?
◆初期のテニスのサービスとは、どのようなものであったろうか? 図(1)(2)(3)
問3:6人制バレーボールの得点制度はもともと「サイドアウト制」であったものが、「ラリーポイント制」に変わっていった。その理由はなぜと考えるか?(バドミントンも同じ道をたどっている)
◆初期のテニスではどちらの方式をとっていたと思うか?またそれはなぜか?
問4:テニスではなぜ 得点が、0-15-30-40という方式になっているのか?
スピード化』という宿命(テニスを中心に)
問5:初期のテニス、バドミントンのコートは図(4)(5)のような砂時計型になっていた。なぜだろうか?
◆テニス、バドミントン、卓球では、打たれたボールがポストの外を通って相手コート内に落ちても「イン」であるのはなぜか?
問6:テニスのネットはバドミントンからヒントを得た高さであったが、図(6)のように変化してきた。なぜこのように急激に変化してきたのだろう。またネットの中央を下へ引っ張って、低くするのはなぜか?
問7:デュース(Deuce)----2ポイントの差がつくまでそのゲームは終わらない----というルールはなぜ必要なのか。このルールが生まれる背景を考えてみよう。
問8:競戯→競技への変化ともいえる歴史的な過程------競技の展開、進行が速くなり、攻撃性が増し、勝敗指向が濃厚になり、プレーが組織化されるという変化の過程-----において、ルールと技術が互いに原因になったり、結果になったりしながら展開してきた例をいくつか上げてみよう。
図1
図2
図3
図4
図5
図6
教師用 発問のための資料 ノート
問1:ネット型スポーツにはどんなものがあるのか。それらのスポーツが競技として完成された古い順に並べ考察せよ。
●ネット型スポーツの原型はテニスである。
フランス インド
ジュ・ドポーム プーナゲーム
↓ ↓
1873イギリス 1873イギリス
テニス ←――――→ バドミントン
(ウィングフィールド) ↓
↓ (バドミントンボーフォード公爵)
↓ ------------サイドアウト制)
→→1884日本→ -ソフトテニス(軟式)
(坪井玄道)
→→1884~7イギリステーブルテニス(卓球)
(ピンポン=商品名)
→→1895アメリカ バレーボール
(YMCA:ウィリアムGモルガン)
問2:サービス=ものすごいスピードで、リターンの難しいボールを打ち込んでおきながら、なぜこれを「サービス」(奉仕)というのか?
◆初期のテニスのサービスとは、どのようなものであったろうか? 図(1)(2)(3)
●ネット型スポーツのゲーム開始はサーブから始まる。
・サーブ=サービス(奉仕)=service
=servant=「召し使い」
・サーブとは「召使い」を意味し召使いのボールを投げる行為を意味した。
・ジュ・ドポーム僧院の中庭、周囲の屋根などを利用し
↓ てのフランスの遊び→テニスへ進化(図1)
●サーブはどのように行われていたか?
・ゲームは当初は屋外で行われていたが、貴族、僧侶、富裕階級の人々によって、室内でも行われるようになった。(図2、図3=リアルテニスコート)
・室内でも、サービスサイドからして、左側の壁面に「ひさし」が取り付けられており、プレーヤーの連れてきた「召使い」が、今日では審判台の置かれているあたりから、ボールがひさしを転がって、レシーブサイドのコートに落ちるように投げ上げ、それを返球することからゲームが開始された。
問3:6人制バレーボールの得点制度はもともと「サイドアウト制」であったものが、「ラリーポイント制」に変わっていった。その理由はなぜと考えるか?(バドミントンも同じ道をたどっている)
・サイドアウト制=サーブ権のあるチームにだけポイントが入る。
・ラリーポイント制=サーブ権の有無に関わらずポイントが入る。
◆初期のテニスではどちらの方式をとっていたと思うか?またそれはなぜか?
・サイドアウト制である。
・時代がゆっくり進んでいる時代に考えられたルールだ。
・試合時間を長くしてのんびりと楽しむ。
・ゲームが長時間続くことが求められた理由は、「賭け」をして長時間楽しんでいたと思われる。
・コートの左右は非対称でサービスはサービスサイドからしかできなかった。
・時代が変化し、テレビ放映時間などの影響を受けたるなどして、ゲーム時間の短縮化へ進む。
・スポーツのルールは商標意識の介入によっても変えられてきた。
・ネット型スポーツで 現在サイドアウト制を採用する
スポーツは無くなった。
問4:テニスではなぜ 得点が、0-15-30-40という方式になっているのか?
・賭けを楽しむ行為=貨幣が手元にある。
・14C頃のフランスでは60進法に基づく 15スウという貨幣が使われていたようで、1点取るごとに、「15スウよこせ」という形になっていたよう。ゲームをゆったり進めながら、金が動く時間も確保する。
・得点版として、時計の文字盤(60進法)を使っていた?
15/30/40/50/60の点数表示
→40オールでデュースを表示し、アドバンテージで
50にすすめ、ゲームオーバーで60と表示し、デュー
スアゲインで40にしていた。
問5:初期のテニス、バドミントンのコートは図(4)(5)のような砂時計型になっていた。なぜだろうか?
・室内でのテニスコートづくりに当たっては、バドミントンのコートを基にしたといわれる。イギリスのバドミントンハウスのホールの中央両側に内開きのドアがあり、ドアを開いてもコートにかからないようにラインを引いていたらしい。
◆テニス、バドミントン、卓球では、打たれたボールがポストの外を通って相手コート内に落ちても「イン」であるのはなぜか?
・中央が凹んだ砂時計型の初期のコートでは、当然、ポストの外を通ってボールが入ってくることはよくあり、その時のルールの名残である。
バレーボールではそのルールは変更されている。
問6:テニスのネットはバドミントンからヒントを得た高さであったが、図(6)のように変化してきた。なぜこのように急激に変化してきたのだろう。またネットの中央を下へ引っ張って、低くするのはなぜか?
・テニスが考案された頃には、ネットを横い直線に張る技術がなかった。中央の垂れ下がったネットの面影を残したというのが真相のようだ。
・ネットが高い為、昔はロビングのつなぎ合いのようなゲームをしていた。サービスエースもなく、ラリーが続くのを、賭けをしながらゆっくり見ていたのだ。
・ネットを低くすることで、スピードと攻撃性の高い技術で勝敗を争うように変わっていく。
・わずか10年の間に50㎝も低くなっている。
問7:デュース(Deuce)----2ポイントの差がつくまでそのゲームは終わらない----というルールはなぜ必要なのか。このルールが生まれる背景を考えてみよう。
・1ポイント差の勝負を排除し、すべて2ポイントの差で勝負を決する。
・2ポイント以上の差がつかなければゲームが終わらない。(テニス=4-0,4-1,4-2か、あとは5-3、6-4、7-5 以外にはない。)
・考え方
「秩序」のあるゲームに仕立て上げる。
混沌から、秩序への脱出がいかに困難であるかを体得する。1点差は混沌である とする。
1点差では真の強さとはいえない。
テニスが修道院で考案されたゲームであると考えると、キリスト教の神のこころといかに混沌を神の秩序にコントロールするか---。
問8:競戯→競技への変化ともいえる歴史的な過程------競技の展開、進行が速くなり、攻撃性が増し、勝敗指向が濃厚になり、プレーが組織化されるという変化の過程-----において、ルールと技術が互いに原因になったり、結果になったりしながら展開してきた変化の例をいくつか上げてみよう。
・テニスのネットの高さの変化
・サッカーのPK戦
・ラグビーのトライ得点価値の変化
・サイドアウト制→ラリーポイント制へ
・野球の金属バットや人工芝の使用
・バレーボール=9人制→6人制→ビーチバレー
・ラグビー=15人制→7人制
・陸上競技のトラックの質、用具、道具の進化
・バスケットボール=前後半制→クォーター制
3ポイント制、3on3への進化
・すもう=制限時間制へ
・柔道=タックル禁止、押え込みの秒数短縮
・体操=最高C難度→F,難度、G難度への進化
--------挙げればキリがない------。
神戸市 北区