中村敏雄著「スポーツルール学への序章」(大修館)を中心教材として構成。
以下の内容をプリントして配布し、発問しながら進めた。
※生徒用配布プリント①
スポーツルール学への序章
構 成
A:このテーマの意味
B:バスケットボールから学ぶこと
C:ベースボールから学ぶこと
D:フットボール「ラインの周辺」から学ぶこと
E:ネット型スポーツから学ぶこと
◆前段の問い
●野球はなぜ 9人で試合をするのか? ●世界中に同じ野球場はないのに、不公平は生じないのか? ●サッカーはなぜ11人なのか? ●ラグビーのゴールはなぜH字型なのか? ●グランドホッケーのスティックはなぜ左側面だけが平面なのか? ●テニスの得点はなぜ0、15、30、40、60なのか? ●アメリカンフットボールは特定のプレーヤーしかボールを蹴らないのに フットボールと呼んでいいのか? ●バスケットのゴールは、なぜエンドライン上にないのか? ●テニスではポールの外側を大きくカーブして相手コート内に落下した打球はセーフなのに、バレーボールではアウトになるのはなぜか? ●野球ではなぜ3ストライク4ボールでなければならないか? ●なぜ、ラグビーやアメフトでは、いくつもの得点の仕方があるのか? ●ラグビーボールはなぜ楕円形なのか? ●テニスではなぜツー・バウンド後の打球を認めないのか? ●相撲、レスリングの競技場は円形で、ボクシングが四角形なのはなぜか? ●バレーボールの触球数が3回なのはなぜか? ●陸上競技のトラックが400Mが正式なのはなぜか?それもなぜ左回りなのか? ●陸上競技のレースのゴール・インは体の前面がラインに触れた時で判定しているが、それではゴール・インにならないではないか? ● ● |
★なぜ このような考察をするのかといえば-----
「スポーツのルールについて研究するということは、単にスポーツのルールに関するクイズ風な謎解きの面白さを楽しむことや、物知りを増やすこと―――たとえば大相撲の仕切り時間が決められたのはなぜか、それはラジオで実況放送が行われるようになって終了時刻を一定にする必要があったからである、というようなこと―――が目的ではなく、このようなことも含んでスポーツと人間の関係、別言すれば人間の文化に対する考え方や享受のしかたなどを明らかにするのが目的であり、どのような時代や社会に生きた人びとが、どんな物の考え方をし、それがスポーツのルールにどのように反映、吸収されていったのか、それが人間の交流の仕方や生活の楽しみ方にどのような特徴を形成したのか、またルールが変わることによって技術がどのように変わり、それによってプレーの仕方や記録がどのように変わったのかということなどを明らかにしつつ、今日から未来に生きるわれわれが現代のスポーツにどのように対応し、それをどのように変えていけばよいのかということに関する示唆や教訓と具体的方法を明らかにすることが目的なのである。」
「----スポーツは考え方や感じ方、体力や技能などの異なる人たちが同じルールでプレーするため、ともにプレーする人たちが同時に、同じ楽しさや面白さを味わうことができにくい。誰でも知っているように、スポーツをすれば必ずうまい者とへたな者がすぐに明らかになり、勝者と敗者が生まれ、喜びと悲しみ、優越感と劣等感などを味わわされる。これらは「近代」スポーツの特徴であるとともにその限界でもあり、その肥大化が勝利至上主義や物質的利益への狂騒を生み、オリンピックを頂点とする種々の競技会や競技団体を「金まみれ」状態に陥れ、その一方で大量の「スポーツぎらい」や「落ちこぼれ」を生んでいる。良識ある人なら誰でも気付いているこのような変革課題を批判的に考察、克服する手段の一つが、ルールを変えることや新しいスポーツを創り、その愛好者を増やすことであり、そのためにスポーツのルールの背後にあってこれを規制している社会的条件や、それが含んでいる思想あるいはスポーツ組織やその活動形態などを明らかにし、そこから多くの示唆や教訓を導き出しつつ未来の新しい運動文化の創造に役立てるようにすることが必要であり、ルール研究の目的なのである。」
※生徒用配布プリント②
バスケットボールから学ぶ①
問1:バスケットボールはどうしてできたのか。 |
問2:ゴールの高さや形はどのように変化してきただろうか? |
問3:バックボードはなぜ作られたのか? |
問4:ゴールの位置はどう変化してきたか? |
問5:チーム人数が5人制なのはなぜか? |
問6:ゲーム開始の方法はどのように変化してきたか? |
問7:得点方法はどのように変化したか? |
問8:ルールの上で最も考え抜かれたことは何であると思うか? |
バスケットボールから学ぶ②
●バスケットボールの史上初のゲームは、1891年12月21日に行われた。初めてゲームをするメンバーにとっては、ラグビーやフットボールの経験しかなかったので、前進、突進、勇猛、果敢、なかでもタックルすることは「花」であったわけだが、バスケットボールではそれが禁止され、身体のぶつかり合いはことごとく規制されたわけである。
・【相手を小突いたり、つかまえたり、押したり、つまずかせたり、たたいたりすることは許されない。これらの第1回目の違反をファウルとし、2回犯した時は次のゴールが成功するまで退場とする。もし、故意に相手を傷つけるようなプレイとみなされた時はゲーム終了まで退場とする。】―――――【初期のルール】
・『はじめは反則が頻発した。2回犯した者は次のショットが成功するまでサイドライン際に退場することになっていたので、大半が退場者となってしまった。しかし無理もない。今までに一度もやったことのないゲームだから、彼らはいったいどうしてよいのか見当もつかなかったのだ。』―――――『ネイスミス』
・さらに1902~1914頃はひどいラフプレイが続出した。原因は次のようなルールにある。
【ボールがアウトオブバウンズになったときは、そのボールを最初に保持した者にスローインの権利が与えられる。】―――【初期のルール】
コート外に出たボールを追いかけて観客席に飛び込み、あたりかまわず殴る蹴るの大乱闘。とうとうコートの周囲を天井からつるした金網のネット(ケイジ)で囲ってしまう措置までとられていた。
問9:フリースローが行われるようになったのはなぜと思うか? |
問10:「制限区域」内 3秒ルールが設けられたのはなぜと思うか? |
問11:10秒ルール、30秒ルールが設けられたのはなぜと思うか? |
問12:ゾーンディフェンスの始まりは何が原因であったと思うか? |
問13:スクリーンプレーは何がヒントになって考え出されたものと思うか?
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(バスケットボール)教師用 発問の為の資料ノート
教師用 発問のための資料 ノート
バスケットボールから学ぶ①②
問1:バスケットボールはどうしてできたのか
・1861生 ジェイムズ・ネイスミスが考案した。
(カナダ生まれ)
※南北戦争の頃=地雷が初めて使われた戦争。
・アメリカ、マサチュウセッツ州----とは何処に?
YMCAの体育教官(YMCAとは----)
・冬季に積雪有り。体育館でやれるスポーツとして考案した。
・1891,12、21 AM11:30に初めてのゲーム
(全13条のルール)別掲
・コートもラインもない、カゴだけ置いてある状況でのゲームを想像
してみよう。
問2:ゴールの高さや形はどのように変化してきただろうか?
・ゴール
① はじめは桃の収穫時に使用するカゴ(ゴールが決まれば梯子を上ってボールを出す)
② 金網のカゴの下から棒でボールを突き上げる。(エキサイトゲームではその棒で殴り合いになることも)
③ 袋状のネットの底のついた鎖で引上げる。
④ 1912年~現在の底が抜け落ちるゴールへと変化してくる。
・高さ=10フィート(3.05m)に釘で打ち付けた
高さは当初~現在まで 変化なし。
問3:バックボードはなぜ作られたのか?
① バックボードははじめはなかった。ギャラリーにいる観客がボールを取って勝手にシュートしたり、ステッキやパラソルで妨害したりしたこと等の妨害対処の為。
② 1892ゴールの背後に3.66m×1.83m以上の長方形の金網を設置
③ 1895現在の規格(1.83×1.22)の金網に(金網に細工するなどの行為の為、木製に代わっていく)
④ 1906白色の板(ボード)に----観客が見えない
⑤ 1909透明のボードに→プラスチック製に
⑥ 1942フチ取りと小さな長方形が加わる~現在へ
問4:ゴールの位置はどう変化したか?
① 初期の頃、ゴールは壁に取り付けていたため、エンドラインは壁であった。プレーヤーは壁に駆け上がってシュートを防いだりしていた。また壁に激突したりして危険であった。
② 1917 ゴールをエンドラインから61㎝(24インチ)コート内に移動する-----バックボードも付いてきた-----why=バンクシュート(ボードに当ててねらうシュート)が重要技術となっていた為
また、体育館にラインを引くようになっていく。
(長方形のコート)
③ 1938 ゴールをエンドラインから内側1m22㎝に移した-----ゴール下のスペースを使う攻撃技術が進化する。
問5:チーム人数が5人制なのはなぜか?
① ネイスミスが最初に受け持ったYMCAの生徒は全部で18人だった。つまり9:9でのプレー。
② コーネル大学では50:50でゲームし、多くの負傷者がでた。体育館もボロボロになった。
③ 1896 5人制~9人制へ(コートの大きさにより)
④ 1905 5人制
⑤ 2007~3人制が正式にできる。
問6:ゲーム開始方法はどのように変化してきたか
① 初めのゲームはセンタージャンプで行われたらしい。その後、審判がサイドラインから中央にボールを投げ入れて開始する方法もあった。
② 1893 センタージャンプの規定(シュートが決まる毎にセンタージャンプ----ただし、センターサークルがないので、こぜりあいがよくあり)
③ 1897 ジャンプサークルの出現
④ 1930 タップは2回まで
⑤ 1935 シュート成功の後はスローインに代わる
問7:得点方法はどのように変化してきたか?
FG=フィールドゴール/F=ファウル
① 1891 FG=1点、3回連続F=相手に1点
② 1892 FG=3点、1回F=相手に1点
③ 1895 FG=2点、フリースロー1点
④ 1901 FG=3点、フリースロー1点
(ショットの成功数が少なすぎる試合多し)
⑤ 1902 FG=2点、フリースロー1点
⑥ 1985 3点ショットを採用
問8:ルールの上で最も考え抜かれたことは何であると思うか?
◎ボールを持ったまま走ってはいけない!!
-----ラグビー感覚でボールを持って走るプレーヤーにタックルをしていた-----のを許さないため。
→→走っていてボールを受けた時の最大の工夫
・ピボット技術の変化
・ボールを放り投げて床にはずんでる間に移動した
-------ドリブル技術の開発へ
問9:フリースローが行われるようになったのはなぜと思うか?
① 1894 フリースローの規定ができた。
ゴールラインから6.1m(20フィート)のところ
にフリースローラインが設けられた。
(現在の3ポイントラインより少し短い程度)
目的=「ルールに違反したプレーヤーに対する罰と償いを明確にすること。」
② 1895 4.6m(15フィート)の長さとなる。
※フリースロー時に観客がゴールをゆするなどの行為があったので、審判がスローアーにボールを渡すなど、審判がその場を掌握し、審判の手順が重要視されるようになっていった。
問10:「制限区域」内 3秒ルールが設けられたのはなぜと思うか?
・1930頃には長身の選手をゴール下に陣取らせる作戦がとられだす。∴攻防のバランスをとる必要があった。
問11:10秒ルール、30秒ルールが設けられたのはなぜと思うか?
① 1932――10秒ルール
バックコートからフロントコートへ
② 1960――30秒ルール(~24秒)
ボール獲得からシュートを打つまで
・時間稼ぎ戦法への対策のため
問12:ゾーンディフェンスの始まりは何が原因であったと思うか?
・1920年代に流行した作戦
・体育館が雨漏りをしたことにより、雨で水のたまった場所を無視して、地域防御したのが始まりとされる。
問13:スクリーンプレーは何がヒントになって考え出されたものと思うか?
・1910~1925の体育館はフロアの中央に柱があったり、暖房用のストーブがあったりした。
・その障害物を利用して攻撃法を考えたといわれる。
バスケットボール 一番最初のルール(全13条)
①ボールはサッカー球を使用し、片手あるいは両手でどの方向にパスしてもよい。
②ボールは片手あるいは両手でどの方向に叩いてもよい。ただし、こぶしで叩いてはならない。
③プレイヤーはボールを保持したまま走ってはならない。またボールをキャッチした位置からパスをしなければならない。かなりのスピードで走っているときにボールをキャッチした場合、その位置で止まろうとしているときは違反としない。
④ボールは両手で保持しなければならない。両腕や身体を使ってはならない。
⑤相手を小突いたり、つかんだり、押したり、つまずかせたり、叩いたりしてはならない。この第1回目の違反は1個のファウルとする。2回違反したときは次のゴールが成功するまで退場とする。もし、わざと相手に怪我をさせるような行為とみなされたときはゲーム終了後まで退場とする。
⑥第②、③、④、⑤条における違反を1回犯すたびに1個のファウルとする。
⑦両チームのどちらかが連続して3個のファウルを犯したときは相手チームに1ゴールを与える。「連続」とはその間に相手チームがファウルをまったくしないことを意味する。
⑧ボールがすろーされるか、タップされてゴールに入ればショット成功とする。もしボールがゴールの縁に止まったり、ショットしたときに相手がゴールを動かしたりしたときもショットは成功とみなす。
⑨ボールがコートに出てしまったときその責任に関係なく、そののちに最初にボールを保持した者がコート内にスローインできる。そのとき、5秒間のみ相手チームから妨害されずにボールを保持できる。5秒間を越えると相手チームのボールとなる。どちらのチームのボールとなるか判断できないときは副審がその位置からスローインする。またスローインの時あきらかにゲームの進行を遅らせたときは副審はそのチームにファウルをコールする。
⑩副審はプレイヤーを審判し、ファウルを記録し、連続3回ファウルが起きた時に主審に知らせる。主審は第5条によりプレイヤーを失格させる権限を持つ。
⑪主審はボールに関するプレイを判定し、ボールがいつインプレイとなるか、インバウンズとなるか、また、どちらのチームのボールとなるかなどを決定する。またゲーム時間を計る。さらにショット成功を確認し、その回数を記録する。その他、他のゲームで主審がいつもやっているような任務をつとめる。
⑫15分ハーフ制とし、5分間のハーフタイムを置く。
⑬ショット成功の多い方のチームが勝者となる。同点の時は両チームのキャプテンの同意のもとに次のショットが成功するまで続ける。
●上記新聞記事は平成11年10月17日付 朝日新聞の当時の編集委員=西村欣也氏の「上原の涙の意味」と題す
る主張・解説であります。
この出来事は、スポーツシーンの回顧番組で何度か取り上げられますが、西村氏のルール解説を通して、ル
ール/記録/監督の指示/プレーヤーの意志/勝利/マナー----等、生徒に意見を出させる好材料の記事と
して授業で取り上げました。「敬遠」はゲーム時間短縮や投手の投球数の問題から「申告」敬遠ルールと変
化していきます。
(1.01条 野球の定義) 「野球は、囲いのある競技場で、監督が指揮する 9人のプレイヤーから成る2つのチームの間で、 1人ないし数人の審判のもとに、本規則に従って行わ れる競技である。」 (1・05条 目的)-----(以前は2条に記載)「各チームは相手より多くの得点を記録して、勝つことを目的とする。」 |
問1:上にあげたのは、野球規則の1条、2条である。このルールの不思議と思う部分について話し合ってみよう。
【ベースボールの歴史】
1845:アレキサンダー・カートライト(銀行員)がその頃行われていたゲームをもとに20ヶ条の新ルールを作成し、彼の所属するニッカポッカーズというスポーツクラブがこのルールでプレーしたのが最初である。
◆この頃の野球は、当時のニューヨークに住む上層富裕の紳士たち(医師、仲買人、成功した商人、ビジネスのリーダーたち)、また見物の淑女たちの社交の手段という性格が強いものであった。ゲームのあとにパーティを開くことも目的であった。
◆カートライトが決めた初めのルール
第1条:会員は練習や試合の為に決めた時間を守り、遅れてはならない。
第2条:会長は試合の審判を選定し、会員不在の時は副会長がこれを代行する。審判はルールに基づいて判定を行い、ルールに違反したものがあればその氏名を記録する。
その他、汚い言葉を吐いたプレイヤーに対する罰金規定などの細かい罰則も決められていた。
問2:上記ルールを見て、感じるところを述べよ。
1846:ニッカポッカーズVS ニューヨーククラブ(クリケットのチーム)で最初の公式対外試合が行われる。
1:23でニッカポッカーズが大敗す。
◆この試合後すぐに、ニューヨークCのの何人かを引き抜く交渉が行われている。
問3:勝利を得るために、練習や戦術のことを考えるより、相手プレイヤーを引き抜いて自らを補強し、同時に相手チームを弱体化させる方法をとっている。この体質を何と見るか?
1861~1865:南北戦争
◆戦火の間に野球に親しんだ選手たちが、それぞれの故郷に伝えたの
が全国普及に貢献し、町村対抗戦も盛んに行われるようになっていく。
問4:野球をプレーする階級はどう変化してきたか?
1869:最初のプロ野球チーム(シンシナティ・レッドソックス)結成
1870:プロ野球チーム(ボストンレッドストッキングス)、黒人野球チームも結成された。
1876:ナショナルリーグが組織化された。
◆野球の人気は上がっていったが、きちんと給料が支払われなかったり、ルール上の不備などもあって、プレーは粗暴となり、審判のひいきチームの有利な判定、選手の引き抜き、賭けの横行などが目にあまり、選手もまた喧嘩、飲酒、契約無視、八百長プレーに染まっていった。
◆賭博の横行から
・フライを取ろうとする野手が観客から石を投げられる。
・ギャンブラーがフィールドに駆け込み選手にタックル。
・野手がボールを追いかけようとすると足下に銃弾がとんでくる------など、無茶苦茶な事件が頻繁に起こり、結果が覆される試合はざらにあった。
問5:野球賭博が、広く行われた理由はなぜと考えるか?
1919:ワールドシリーズ 八百長試合 疑惑事件
(ブラックソックス事件)裁判
ナショナルリーグ VS アメリカンリーグ
(シンシナティレッズ) (シカゴホワイトソックス)
◆ランディス判事は1921年に、初代コミッショナーに就任し、25年後に退職するまで、野球界に絶え間なく起こるアンフェア―な行為や事件の処理と、モラルを確立し、その遵守を徹底させることに心血を注いだ。
問6:アメリカにおけるフェアと、イギリスにおけるフェアとの違いは何であっただろう?
問7:アメリカ生まれのスポーツには成立当初から「引き分け」の思想がなく(イギリス発生のスポーツにはある)、時間を延長してでも勝敗を決めようとする背景にあるものは何か?
問8:ルールに「勝つことを目的」とすることを、あえて明記しなければならない理由はなぜだったのか?
問9:ルールに「監督の指揮」とあえて明記しなければならない意味、意図はなぜなのか?
(ベースボール)教師用 発問の為の資料ノート
教師用 発問のための 資料 ノート
問1:上にあげたのは、野球規則の1条、2条である。このルールの不思議と思う部分について話し合ってみよう。
・「監督が指揮する」とあえて入れる必要性は?
・「勝つことを目的とする」とあえて入れる必要性は?
問2:上記ルールを見て、感じるところを述べよ。
・「時間厳守」をあえて入れる必要性とは-----
---------当時の紳士たちは時間にルーズであったか?
--------パーティ開始の時間の制約があったか?
・「氏名を記録」されることは効果を期待できたのか?
問3:勝利を得るために、練習や戦術のことを考えるより、相手プレイヤーを引き抜いて自らを補強し、同時に相手チームを弱体化させる方法をとっている。この体質を何と見るか?
・引き抜き合戦の展開は
→→→腐敗していく 利益優先主義
→→→上流階級の体質 →→下層の階級へも影響か
問4:野球をプレーする階級はどう変化してきたか?
・上流階級→→→下層階級へ
入場料、選手の手当、野球がうまいことによる就職
・アメリカ最大の運動商=スポルディング
----シカゴの田舎の野球少年引き抜きの話
問5:野球賭博が、広く行われた理由はなぜと考えるか?
・現在の我々のようなスポーツ等の情報(チーム勝率、打率、選手のキャリア、ポジションが全くなかったこと----テレビも、ラジオも、スマホもない時代。また観客も強肩でのプレーや技術を評価できず----勝敗の行方に賭けるのみ であった時代。
問6:アメリカにおけるフェアと、イギリスにおけるフェアとの違いは何であっただろう?
・アメリカ=金銭に関することが中心
-----当時のアメリカではスポーツをしたり、見たりした人々の多くは明らかに貧しかった。
・イギリス=スポーツをする行為の品位やエチケット
-----イギリスでスポーツできるものは 初期には上流階級であり、相当な生活を営める人
問7:アメリカ生まれのスポーツには「引き分け」の思想がなく(イギリス発生のスポーツにはある)、時間を延長してでも勝敗を決めようとする背景にあるものは何か?
・勝つことを目的とすることでフェアが実現できる。
負けることをよしとすることを許してはいけない。
試合に勝つということに全てを注ぐこと。
・ゲームの勝敗による賭博の損得問題も関係していた?
問8:ルールに「勝つことを目的」とすることを、あえて明記しなければならない理由はなぜだったのか?
・賭博による金銭獲得を有利に進めるために、負けるこ
とを目的とした 八百長試合が横行していたから。
問9:ルールに「監督の指揮」とあえて明記しなければならない意味、意図はなぜなのか?
・勝つことの目的達成=強力なリーダー=チームの監督
・メンバーチェンジも監督の意志で行う。
・監督にその役割を担わされることによって、プレイヤ
ーのフェアを実現させられる と考えられていた。
・日本の高校野球の監督の指揮については?
神戸市 北区